中国嫁のトリセツ

中国人の嫁をもらって気がついたことなどをツラツラと書いています。

胸が痛むとき?

前にも書いたと思うが、うちの嫁(ランラン)は1980年代初頭の生まれで、いわゆる「八〇后」世代である。自分が上海に住み始めた頃は、よくこの「八〇后」というキーワードが若者の象徴のように使われていたのを覚えている。日本でもかつて「新人類」というキーワードが日本でもあったが、それに近い使われ方をしていたと個人的には思っている。(40代以上でないと知らないかもしれないけど 苦笑)

 

中国でも経済的に豊かになってきて、これまでの世代とは価値観や考え方が違うという意味で使われてきた用語だが、自分の見てきた農村部においては、ランラン世代ではまだ経済的な豊かさを享受したとは言いがたく、具体的には書かないが、ランランの幼少期の頃の生活の話を聞くといたたまれなくなる。ただ、ご両親の教育が良かったのか、そうして苦労した時代のことをあまりネガティブにとらえることはなく、今でも

 

ランラン「わだし、芋粥大好き」

 

とか言い放ち、今でも時々朝食にお粥を作っている。しかも薄めのお粥が好みだという。それを聞いていると、子供の頃に朝の連ドラの「おしん」の中で大根飯やらを見ているからか、米が十分になくて代わりに芋を入れたり、薄めのお粥にしたりしていたのではと勘ぐってしまうので、余計に胸が痛んだりするのだが、本人はそういうお粥を食べて満足そうなので特に何も言わないようにしている。

 

以前のブログでも書いたのだが、実際に農村部の生活が「少しだけ」楽になったのは、胡錦濤国家主席になって以降らしい。日本的に言う年貢のような農業税が課せられていたものが、その時代に撤廃されたのが大きかったようで、「胡錦濤は良かった」と義母が話しているのを聞いたことがあるし、実際に親類には生活資金に余裕が出来て念願の自動車を購入した人もいたりする。中国での派手な経済発展からイメージするとその歩みはゆっくりにしか見えないが、それでも農村部の暮らしも少しずつ上向いていると現地に滞在しているときに感じたものだ。

 

こんな話を知った上で、日本に帰国する少し前ぐらいに「中国の都市部の工場で農村からの働き手が足りず、九〇后は工場の労働条件に満足できずにすぐ村に帰る」というようなニュースを聞いたときには、妙に納得したのを覚えている。八〇后だったらそんな訳ないだろうと感じるが、それより10歳若く、少しだけ潤い始めた時代を知っている九〇后ならあり得るだろうなと思ったのだ。

 

注1:現在の中国では、「八〇后」は若者の象徴としては最早使われていない(と思う)。それらは「九〇后」や「〇〇后」に取って代わられた。

注2:農村云々の記述は、自分の目で見た安徽省の某農村地域をベースに話しているが、もちろん地域差や個人差がある話事は言うまでもない。「おまえの言っていることは実情を反映していない」と指摘していただくのは構わないが、こちらとしては「それはあなたと私が見てきたものが違うだけでしょ」としか言いようがない。

 

 

変わりゆく中国農村の動向

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中国にとって、農業・農村問題とは何か――〈三農問題〉と中国の経済・社会構造
 

 

 

中国農民調査

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