中国嫁のトリセツ

中国人の嫁をもらって気がついたことなどをツラツラと書いています。

里帰りへ

今年の春節は日本語で過ごしたうちの嫁(ランラン-仮名)であるが、このたび半年ぶりに里帰りをすることになり、その準備に追われている。今回の帰省は、単に帰省するというだけではなくて、出産を間近に控えた弟の嫁の手伝いなどのミッションが含まれており、約一ヶ月半ほど中国に滞在する事になっている。

 

日本から帰省する場合、これまでは上海に飛んでそこから動車(中国版新幹線)で移動というパターンだったのだが、どうしても行きか帰りに上海で一泊する必要が出てしまう。そんな場合、友人宅などに泊めさせてもらうのであるが、あいにく家に泊めてくれそうな友人たちは、タイミング悪く上海を不在にしているとのこと。検討の結果、今回は初めて北京で中国国内線に乗り継ぐ事にした。

 

この北京乗り継ぎのパターン、初めての試みなのだが、(ランラン本人がどう思っているかはともかく)いろいろメリットが多い。一番大きいのはスケジュールがほどよいこと。北京で国内線に乗り継いでからの最終目的地到着が15時過ぎとまだ明るい時間帯である事、帰りも現地を11時過ぎに出発して、乗り継いで羽田には夜の9時半には到着できるのだ。

 

上海乗り継ぎの場合、フライトチケット自体は北京に行くより安いのだが、格安チケットの場合浦東空港に到着となる。浦東空港からランランの地元までのフライトは早朝に一便あるだけで、日本発をどんなに早い時間に設定しても間に合わない。となると虹橋に二時間近くかけてバスか地下鉄で移動することになるのだが、虹橋からのフライトは夜間に一便あるだけで、到着すると夜の10時を回ってしまう。となると動車を選ぶしかないのだが、虹橋からは一番速い列車でも二時間半、通常であれば三時間かかる。さらに言えば、首尾良く動車のチケットがとれるとは限らない(*1)。帰りは帰りで上海で一泊などを勘案すると、所要時間も北京経由とほとんど変わらないし、トータルコストでは、もはや割安とは言えなくなってしまうのである。

 

などの経緯もあり、上海経由があまり割に合わないことを説明して、最終的に北京経由で行くことに承諾したランラン。予約したのは一ヶ月ほど前だけど、出発の二週間も前からスーツケースを引っ張り出し、何を持って行くかを思案している様子。スーツケースの重量が制限を超えないように、モノを入れたり出したり、久しぶりの記載にテンションが上がっているのも頷けます。

 

一方で、もう一人テンションの上がっている人が。。。久しぶりの開放感に浸れることにニヤけていたのを見透かされたのか、

 

ランラン「あなだ、なんだか楽しそうね」

土井さん「そ、そんなことはないよ。。。」

 

たまには羽を伸ばすぐらい良いよねという話である(謎)。

 

*1 中国の銀行口座+インターネットバンキングを持っていれば、日本から高鉄/動車のチケットを予約することは可能だが、ランランはインターネットバンキングにたまにしか触らないので、いつの間にかDeactivateされてしまっているので、現地でチケットを買うしかない。

 

 

 

 

 

 

 

胸が痛むとき?

前にも書いたと思うが、うちの嫁(ランラン)は1980年代初頭の生まれで、いわゆる「八〇后」世代である。自分が上海に住み始めた頃は、よくこの「八〇后」というキーワードが若者の象徴のように使われていたのを覚えている。日本でもかつて「新人類」というキーワードが日本でもあったが、それに近い使われ方をしていたと個人的には思っている。(40代以上でないと知らないかもしれないけど 苦笑)

 

中国でも経済的に豊かになってきて、これまでの世代とは価値観や考え方が違うという意味で使われてきた用語だが、自分の見てきた農村部においては、ランラン世代ではまだ経済的な豊かさを享受したとは言いがたく、具体的には書かないが、ランランの幼少期の頃の生活の話を聞くといたたまれなくなる。ただ、ご両親の教育が良かったのか、そうして苦労した時代のことをあまりネガティブにとらえることはなく、今でも

 

ランラン「わだし、芋粥大好き」

 

とか言い放ち、今でも時々朝食にお粥を作っている。しかも薄めのお粥が好みだという。それを聞いていると、子供の頃に朝の連ドラの「おしん」の中で大根飯やらを見ているからか、米が十分になくて代わりに芋を入れたり、薄めのお粥にしたりしていたのではと勘ぐってしまうので、余計に胸が痛んだりするのだが、本人はそういうお粥を食べて満足そうなので特に何も言わないようにしている。

 

以前のブログでも書いたのだが、実際に農村部の生活が「少しだけ」楽になったのは、胡錦濤国家主席になって以降らしい。日本的に言う年貢のような農業税が課せられていたものが、その時代に撤廃されたのが大きかったようで、「胡錦濤は良かった」と義母が話しているのを聞いたことがあるし、実際に親類には生活資金に余裕が出来て念願の自動車を購入した人もいたりする。中国での派手な経済発展からイメージするとその歩みはゆっくりにしか見えないが、それでも農村部の暮らしも少しずつ上向いていると現地に滞在しているときに感じたものだ。

 

こんな話を知った上で、日本に帰国する少し前ぐらいに「中国の都市部の工場で農村からの働き手が足りず、九〇后は工場の労働条件に満足できずにすぐ村に帰る」というようなニュースを聞いたときには、妙に納得したのを覚えている。八〇后だったらそんな訳ないだろうと感じるが、それより10歳若く、少しだけ潤い始めた時代を知っている九〇后ならあり得るだろうなと思ったのだ。

 

注1:現在の中国では、「八〇后」は若者の象徴としては最早使われていない(と思う)。それらは「九〇后」や「〇〇后」に取って代わられた。

注2:農村云々の記述は、自分の目で見た安徽省の某農村地域をベースに話しているが、もちろん地域差や個人差がある話事は言うまでもない。「おまえの言っていることは実情を反映していない」と指摘していただくのは構わないが、こちらとしては「それはあなたと私が見てきたものが違うだけでしょ」としか言いようがない。

 

 

変わりゆく中国農村の動向

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中国にとって、農業・農村問題とは何か――〈三農問題〉と中国の経済・社会構造
 

 

 

中国農民調査

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中国嫁の夫の中国語力(2)

さて、前の記事からずいぶん時間が空いてしまい、前に何を書いたかすらあまり覚えていないのだが、中国嫁の夫の中国語力というタイトルなので、一番新しくてリアルな結果をここに晒しておこうと思う。

 

2014年3月23日に実施された中国語検定の結果だ。

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見事にボーダーライン上であるが、合格は合格である。今後は、資格欄に新HSK6級に加えて中国語検定2級というのも履歴書に書くことにしよう(笑)。

 

中検という試験について思ったところは別のブログに書くとして、中国嫁を持つものとして、中国語のレベルが高いに越したことはないが、ある一定以上の水準に上げていくことを考えるのであれば、それなりの投資(時間、金銭)が必要だと思う。うちの嫁(ランラン)が、自分の中国語学習に於いて寄与した割合は、正直なところあまり多くないと思う。

 

そんなわけで、うちのランランの日本語能力もアグ○ス・チャン状態なのであるが、最近になって、

 

ランラン「わだし、日本語学校行く」

 

と言い出している。実際に行くかは分からないが、自分の 中国語力が伸び悩んでいるのと同じ理由で、ランランの日本語力も伸び悩んでいることを良く指し示していると思う。

 

合格奪取! 中国語検定2級 トレーニングブック 筆記問題編

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CD3枚付 合格奪取! 中国語検定2級 トレーニングブック リスニング問題編

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中国語検定2級徹底攻略―筆記問題完全マスター

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中国嫁の夫の中国語力(1)

中国嫁が日本に滞在する場合、最も一般的なものは「日本人の配偶者等」という身分で滞在許可を取る事になると思う。一部、仕事をしている場合など、いわゆる就労ビザを取得して滞在というケースもあるかもしれないが、転職だとか職を失った場合など、いろいろと制約となる部分がある。一方の「日本人の配偶者等」の場合は、就労制限が一切ないので、その点を心配する必要がない。知人の中国人夫と日本人妻のカップルも、夫が日本で働いている間、日本人妻は専業主婦だったが、それでもその中国人夫は「日本人の配偶者等」のビザを持っていた。理由を聞くと「職が自由に変えられるから」という答えをもらって、妙に納得したのを覚えている。

 

その「日本人の配偶者等」での滞在許可を得るためには、いろいろと書類を準備しないと行けないのだが、その中にアンケートがあり、出会ってからの経緯だったり、いろいろ小っ恥ずかしい事を書かされる。その中の質問の1つに、こんなものがある。

 

Q. 配偶者とのコミュニケーションは、どのように取っていますか?

 

うちの場合は、中国滞在中も含めれば、相当つきあいが長いので、本音を書くと、こんな感じだろうか。

 

嫁が中国語を話そうが、日本語を話そうが、仮にそれが多少文法的に壊れていようが意図する事は分かるので何の障害もない。逆に、こちらが日本語で話そうが、壊れた中国語で話そうが、向こうもこちらの意図がくみ取れないケースは、ほぼ皆無である。

 

なので、実際の会話は、こんな感じで日中チャンポンになる訳だ。

 

ランラン「你把那个xx洗一下」

土井さん「今忙しい」

ランラン「你那么懒!」

土井さん「だれが怠け者じゃ?」

ランラン「あなだ、ラマケモノ」(怠け者と言っているつもり)

 

端的に言ってしまえば、向こうが日本語で話しているか、中国語で話しているかは意識していない(ような気がする)。こちらが返すときも、同じで結果的に日本語で返す時もあれば、中国語で返している時もあると思う。てか、ほとんどのご家庭ではそうではないだろうか?

 

ただ、一応ビザの申請書類なので、丁寧にこんな感じで書いたのを覚えている。

 

妻と会話をする場合は、まず日本語で話して、万が一意図が理解できない場合は中国語に切り替えるなどして、意思の疎通が出来るまで繰り返します。妻は生活に支障がない程度の日本語を話す能力を有しており、私も中国語学習歴が長く、コミュニケーションに支障が出ることはほとんどありません。

 

嘘は書いていないが、コミュニケーションに支障がないことをアピールする文面になっているという訳だ。

 

話は、戻るが始終こんな感じの会話なので、ランランと会話していても、これ以上中国語能力が上がる事はないと思う。上海に住んでいるときは、会社の人と会話すれば良かったが、日本ではランラン以外の中国語話者と会話する機会も相当少ないので、残念ながら退化が始まっているのではないかと思う。

 

(つづく)

 

 

Why?にこたえるはじめての中国語の文法書

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はじめての中国語 (講談社現代新書)

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発音の基礎から学ぶ中国語

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面白いの松本さんの下で待ってます

これは、1回目の中国駐在終了前、正月に一時帰国した時の話である。2度目の日本滞在となったうちの嫁(ランラン)が、渋谷界隈で友人と遊ぶというので、家に帰る時に渋谷まで迎えに行くことにした。その時は、一時帰国中ということもあり、千葉の実家に戻る必要があったためだと記憶している。

 
午後7時頃だったか、SMSが飛んで来て、渋谷の駅前にいるというなんとも曖昧な情報だけが送られてきた。ただ、その時はランランには自分の携帯を貸していたので、位置情報をもとにハチ公口の周辺だろうと推測をして向かったのだが、やはり細かい場所が分からない。
 
すると、今度は電話がなる。
 
ランラン「いま、おもしろいの松本さんの下にいるから迎えに来て」
 
何ともトンチの利いた説明である。全くどこにいるのか検討もつかない。それでも、某百貨店の入り口のところでなんとかランランを発見。
 
土井さん「おもしろい松本さんて何?」
ランラン「あれ!」
 
と、どや顔で頭上を指差すと、ビルの屋上にあるダウンタウンがイメージキャラをつとめる某商品のデカイ広告が目に入った。思い返せば、数日前の大晦日にテレビで見た「笑ってはいけない」シリーズを見たし、確かに「面白い松本さん」ではあるけど、はるかに想像の上を行く発想に舌を巻いた。
 
この人相手に、常識は通用しない事がよく分かったwww
 

 

 

 

「松本」の「遺書」 (朝日文庫)

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遺書

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Lost in translation

先日、目に違和感があるというので、うちの嫁(ランラン)を家の近所の総合病院に連れて行った。病院などに行く時は、基本的には初診の時だけは同行するようにしている。

 
受付を済ませて眼科に通され、診察の前に視力などの検査を受けていたのだが、そこに車椅子に乗せられたご老人がやってきた。服装からして入院中に検査を受けに来たんだろう。検査担当の看護師さんが2人ほどで対応していたのだが、ご本人の反応はほとんどなく、ひょっとして意識障害?と思ってしまうほどだった。
 
ランランの検査も終わり、並んで座って診察を待っている最中も、我々はその老人に視線が釘付けとなっていた。看護師さんが微笑みかけると、ようやく笑顔を返したのが初めて見る反応だった。しばらく見ていると、看護師さんが「いーあるさんすー」などと伝えているのが聞こえてきた。
 
土井さん「あの人、中国人じゃないの?話しかけてあげれば?」
ランラン「え、そうなの?」
 
そこで看護師さんに聞いてみると、やはりその老人は中国人で、意思の疎通が出来なくて困っているとの事。そこで、ランランが話しかけてみると奇跡?が起こった。
 
ランラン「こんにちは。あなたは中国人ですか?」
老人「そうじゃよ」
ランラン「私も中国人です。どこの出身ですか?」
老人「大連じゃ」
ランラン「私は安徽省の出身です。安徽省は知っていますか?」
老人「知っとるよ」
 
これまで、ほぼ無表情、無反応だった老人から笑顔がこぼれて、会話をし出したことで、周囲は一気に色めき立ったのだ。
 
その後も話してみると、老人の娘さんが日本で働いているので来日して日本に住んでいる事、娘さんは仕事が忙しくてなかなか面会に来れない事などが分かった。ただ、
 
老人「她不要我了」
 
と言われたのには、少しばかり心が痛んだ。本当に娘さんとの関係がギクシャクしているのか、老人が娘に負担をかけていることを気にかけての発言かは分からなかったが。
 
いずれにしても、誰も中国語を話さない環境に一人置かれていて、気持ちもかなり落ちていたのは間違いないだろう。そこに久方ぶりに中国語を話す機会を得て、急に元気になったとしても、何の不思議もない。
 
ついでにランランが通訳して、これからどのような検査を受けるかなどを説明してあげた。この病院には通訳さんはいないようで、ランランは看護師さんたちにも感謝され、最後老人と別れる時も、老人も手を振って名残惜しそうにしていた。
 
子供なら誰にも親を思う気持ちが多かれ少なかれあると思うが、中国人、さらにランランのそれは人一倍強いので、きっと田舎の両親のことも思い出したに違いない。
 
一応、ランランには、こういう日本に来た中国人相手に通訳する医療通訳という仕事もあることを教えておいた。やるかどうかは本人次第。ただ現状の日本語レベル的には少しハードルが高いかな?
 

 

新版 医学・薬学の翻訳・通訳 完全ガイドブック (イカロス・ムック)

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ペットちゃん用

うちの嫁(ランラン)は安い物に目がない事は、これまでにも書いていると思う。都内某所の某安売り洋品店(テレビでも紹介されていた)には、すっかり顔なじみの様子で、たまに洋服を買っては、さらにおまけでもう1枚もらってきたりしている。本人にとって、いかに割安で手に入れるのかというのが、一種の競技のようになっており、家に帰って来るなり、

 

ランラン「これいくらだと思う?」

土井さん「800円」

ランラン「残念。あと3回チャンスあげる」

 

てな話が展開されていたのだが、今となっては、もう値段はわかりきっているので、

 

土井さん「どうせ500円でしょ?」

ランラン「そうじゃなくて、いくらに見えるかを聞いてる」

 

というような感じで、いかにお買い得だったのかを自慢するのが日課となっている。ただし、老婆会の仲間には、イマイチ評判が悪いらしく、

 

老婆友「もうちょっと良いの買えば?」

 

と言われるので友人たちに自慢するのは自重しているようだ。

 

ところで先日、ランランが料理を作ろうと、とある肉のパッケージを冷蔵庫から取り出して持ってきた。

 

ランラン「これどうやって作る?」(調理法を尋ねているつもり)

 

・・・パッケージを見て、リアルに腰が抜けた。なんとそこには、

 

××肉(ペットちゃん用)

 

と書かれているではないか。いわゆる食肉としては加工できない部位をペット用として安く販売していたのを「激安肉」と勘違いして買ってきてしまったらしい。本人の名誉のために言っておくが、見た目はいわゆるスーパーで売っているようなトレイにのった食肉風だったことを一応断っておく。

 

土井さん「これは食えないから」

ランラン「为什么?」(なぜ?)

土井さん「これは、犬とか猫が食べるやつだから」

ランラン「犬とか猫の肉の意味か?」

土井さん「そうじゃなくて、あんたは犬とか猫のエサを買ってきたの」

 

本人はかなり口惜しそうにしていたが、その肉を取り上げて、そのままゴミ箱に放り込んでおいた。

 

端で見ていると、欲しいものがいくらかというよりかは、まずは値札に書かれた金額に反応して、それから何が商品であるかを確認しているようだ。いわゆる安物買いの銭失いパターンだと思うのだが、ここだけの話にしておこう(苦笑)。

 

 

 

 

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